名前:吉岡龍一

学年:M1

パート:長距離

①上旬ホクレン、その後ひたすら練習。6/27の選考会終わって即温泉行ったり翌日にガッツリ深鍼してもらったので脚は復活しましたがやっぱり中9日では上げきれませんでした。選考会のレース展開はなかなかメンタルやられて2度とあんなレースしたくねえとマイナスな感情持ったまま再調整になっちゃいました。そんな中でまさかのpbでした。4/29のセカンドベストのときよりも実力上がってるのは分かってましたが、コンディション諸々考慮してベストちょい落ち~わずかに更新くらいかと思ってました。以下考察

1.最初のゆとり

2019冬くらいからレースは突っ込むものだと思ってきました。もちろん記録会ではなく勝負レースのため。実際全日本選考会では出来たし突っ込む怖さは薄れてきました。そんな中でホクレンは2'51通過、組のレベルからすると遅いし集団デカくなって接触祭りでした。前半は平均ペースより早めに進むべきマインドだったので2'51の時点で「今日終わった」と思いながら進めることになりました。しかーし結局その後キツくならず4000まで到達できてラストも蹴れました。突っ込んだら死ぬ(大3まで)→突っ込めるようになろう(大3~大4)→突っ込まないと記録でない(M1)→前半楽するとやっぱり記録出た(M1.7月)って変化です。螺旋階段1周した。

2.調整ゆっくりできたから

全日本選考会前の6/20くらいから練習減らして、ホクレンまでも再構築せず繋ぎのイメージで調整したので2週間近く練習量半分程度でした。体感してなかったけどだいぶリフレッシュしたのだと思う。おかげで久しぶりの今津6往復がかなーりキツくなってしまった。

②去年ほど時間がないので練習に固執しない。できる範囲で自分の練習にフォーカスする。

③M1に夏休みという概念がないことが判明して絶望しておる

④4年生のみなさん、おつかれさま。クソみてぇな時代に対して分裂と部の在り方を問われたと思うけど終えると案外違う考えが浮かんでくるものです。これで引退するのはマジでもったいねえ。箱根走った知り合いの言葉「箱根は集大成ではなくその1年の始まりの場」

七大戦も同じだなと俺は思いました。(練習)やらなきゃ意味ないよ。